オノデラユキ 作品展
『12速度』ー森の中のタギング。矢印の方へ。ー
2008年9月2日(火)〜9月27日(土) 日・月・祝日休廊
開廊時間:10:30〜18:30(土〜17:30)
石、戦車、オレンジ、カメラ、壷、サメ、数珠、ハンバーガー、自走砲薬莢、コップ、ヘッドホーン、セロテープ、牛乳、洗面器、機関銃弾倉、虫、巻物…。17、18世紀西洋の静物画を連想させるアングルで撮られた静物写真のようでもあるが、そうでもない。
そもそも静止したオブジェを撮影する静物写真ほど、写真術に適したジャンルはないだろう。刻々と変化する自然や、留まることのない人間の表情を写真に写そうとする努力から比べれば、静かにそこに佇む不変のものたちを忠実な光学機械はそのままに定着してくれるだろう。だが、それでもやはり写真には写らないものがある。
静物が雑然と並んだテーブルを舞台と考えるならば、この舞台は「鏡」のモノローグを中心に進行する。
ここで「鏡」は情景を動揺させる役者であり、カメラと被写体との安定した関係(太陽と人間の関係にも比す一定の関係)に風穴を開ける。そしてその穴は私たちが象徴的に「鏡」に抱くイリュージョン(向こう側の世界)と重なり不安な方向へ、近くて遠い場所へと導く。この写真には写ってはいけないものまで写ってしまっている。それは鏡が映し出す森である。この静物写真は深い森のなかで撮影されている。
まるで物語世界の中に迷い込んだかのようでもあるが、そうでもない。
なぜなら、落書きの手法で書かれた矢印とサイン<タギング>がリアルで陳腐なコンテキストの方へと引っぱって行くからだ。70年代の落書き、グラフィティから現在のタグにいたるまで、今では都市のあちこちに落書きされたタグは都市景観最悪の公害。どんなにつまらなくても多弁である都市の景観を瞬く間に狭いコンテキストに一変させてしまうという景観についての陳腐な暴力である。
では、この作品のタギングも静物の景観を破壊して終わるものなのか。そうでもない。
矢印は見ることの方向を指し示している。実は矢印はここでもっとも写真に撮りたかった<何か>なのだ。なぜならそもそも<矢印>というものは写真に撮ることができるものなのどうか、疑問でもあったからである。私たちは視覚的にも意味的にも矢印の方へ向かっていくことになるが、やはり最後まで不変なものは静物たちであろう。
やっと見えかけた方向性がその度に崩れながら循環し振り出しに戻る。しかし、最後の裏切りは展覧会会場で写真を見たときに起こるのだが…。
2008/6/28 Yuki Onodera
Yuki Onodera を見る